極貧のスラムにはそこに入った者を逃がさない「魔の手」のようなものもあるのだ

極貧のスラムにはそこに入った者を逃がさない「魔の手」のようなものもあるのだ

私は二十歳になってから早々に日本社会からドロップアウトしたし、親からも関係が切れてしまったし、仕事もしていなかった。ただ非常に運が良いことに、私が二十歳の頃から日本はバブル経済に入った頃だった。

株式市場が爆上げしていったので、株式市場に出入りしていた私は1990年までその恩恵を受けて、東南アジアでぶらぶらするくらいの金は働かなくても作ることができた。

このバブル経済がなければ、間違いなく私は浮浪者になっていたはずだった。現にこの当時、東南アジアに沈没していた連中は浮浪者まがいの人も大勢いたのだが、私も紙一重でそうなっても不思議ではなかったのである。

1980年代後半のタイはまだまだ貧しい国で、街をほっつき歩くと貧困の光景がすぐに目の前に現れた。

そもそも、タイに初めて足を踏み入れたその瞬間から、そこは貧困の光景だった。ひとりでタイに辿り着いてドンムアン空港から列車に乗った時、窓から線路ぎわに建てられた粗末で壊れそうなバラック小屋が見えた。

そこでは何キロにも渡ってスラムが線路に沿って続いていた。日本ではそんな光景は見たことがなかったので、目の前のスラムに衝撃を受け、私はとても怖くなった。

彼らは何も持っておらず、自分はいろんなものを持っている。ましてひとりだ。「もしかしたら駅に着いたら彼らに襲われるかもしれない」と馬鹿なことも考えた。そして同時に、線路沿いのあんな粗末なバラックに住まなければならない彼らの境遇に同情した。

「それにしても、なぜ線路ぎわのような危ないところに住んでいるのだろう?」と考えたりしたが、その当時は分からなかった。もちろん、今では分かる。(ブラックアジア:なぜ途上国では線路沿いのうるさい場所に人が住み着くのか

そこに入った者を逃がさない「魔の手」のようなものもある

私は確かにスラムを見た時に「強い恐怖」を感じていたはずだった。しかし、それから数年後、私は歓楽街で知り合った女性たちを通してスラムに入り浸りになり、やがては東南アジア中の貧困地区をさまよい歩くようになっていた。

スラムが好きになったわけではない。今でも知らないスラムに入って行く最初の時は、心の奥底に漠とした不安や恐怖がある。よそ者を受け付けない壁のようなものも感じる。しかし、それでも足が向く。引き寄せられてしまうのだ……。

貧困地区は、堕ちた人間、自堕落な人間、絶望した人間、虐げられた人間の吹きだまりだ。こんなところに「引き寄せられてしまう」と言えば、知らない人から見ればどうかしていると思うかも知れない。

しかし、私は日本社会から切れて野良犬のように生きていたし、そうであれば転がり堕ちて行きつく先は「ここになる」という思いがずっと頭から抜けなかった。私は先進国・日本よりも東南アジアのスラムの方が相応しい人間なのだという意識がずっとあった。

だから、たまたま今は金があっても、運は続かないのだから最後には堕ちて「ここの住民になるのだろう」とずっと思っていた。「引き寄せられてしまう」というのは、まさに「自分の居住地はここになる」という無意識があったからだとも言える。

東南アジアの貧困地区やスラムというのは非常に荒んでいる。それこそ「無敵の人」ばかりで、昼間から飲んでいたり、ドラッグで倒れていたり、病気で動けない人がいたり、あるいは自暴自棄になって破滅的な人も多く、決して愉快な場所ではない。

それでも、底なしのどん底の「何か」が私を引き寄せて、そこから抜け出るのをためらわせた。知り合った女性たちはみんなこうしたスラムの出身だったし、彼女たちが好きだったので、彼女たちの住むこの場所も嫌いになれなかったということもある。

そして、もうひとつ奇妙なこともあるのだ。スラムにはそこに入った者を逃がさない「魔の手」のようなものもあるのだ……。

私は確かにスラムを見た時に「強い恐怖」を感じていたはずだった。しかし、それから数年後、私は歓楽街で知り合った女性たちを通してスラムに入り浸りになり、やがては東南アジア中の貧困地区をさまよい歩くようになっていた。

転落したという事実がアドレナリンを出す

スラムは転落していく人間たちの集積場でもある。そこは下水道も完備されていないし、清潔な水があるわけではないし、建物は粗末なバラック小屋だし、ゴミや糞尿のニオイがいつも漂ってくるし、あらゆるものが不潔で粗末だ。

だから、誰もが「こんなところから脱して、もっと環境の良い場所に引っ越したい」と思っている。しかし、そこから抜け出すことができずに巣食っている。スラムは貧困層の最終的な集積場である。堕ちると、なかなか抜けられないのだ。

社会は必ず転落者を生み出す。誰も転落なんかしたくないが、「このままではまずい」という危機感に包まれながらも止められずに転がり落ちていくのが転落である。みんな最後にここまで来てしまった。そして、這い上がれない。

私でも東南アジアの電気もないスラムににしばらく泊まると、長い長い眠れない夜に急に不安感が募ることもある。

「このまま私も日本に戻れなくなって、ここで一生暮らすことになるのかも。この空気に染まると、私も本当にここの住民になって食べていけなくなるかも。このまま這い上がれなくなるのかも……」

そういった危機感と不安感が突如として湧き上がり、自分はいったいどうなってしまうのかという切迫感にアドレナリンが出る。

旅人として貧困地区に潜んでいて、その気になったら翌日にでも逃げ帰られるはずなのに、「自分はいったいこんなところで何をしているのだ。もうここから逃れられないかも知れない」という危機感が滲み出て心臓が早鐘を打つのである。

こういった危機感は強い不快感を増長するのだが、同時にアドレナリンが噴出させて場所に対する印象を強烈にする。すると、不可解なことが起こる。スラムが忘れられなくなり、心がスラムから離れられなくなるのである。

あたかも、スラムの「魔の手」が心をぐっと鷲づかみして離さないような、そんな感覚にとらわれる。

旅人として貧困地区に潜んでいて、その気になったら翌日にでも逃げ帰られるはずなのに、「自分はいったいこんなところで何をしているのだ。もうここから逃れられないかも知れない」という危機感が滲み出て心臓が早鐘を打つのである。

暴力もドラッグも売春も、そこでは剥き出しで存在している

思えば、スラムの「魔の手」はあらゆる世代の人間に伸びて、スラムから抜け出せないようにがっちりとつかんでいるように思える。

たとえばスラムの若者たちは、貧困であるがゆえに学校に行く時間も金の余裕もないので、教育を身につけることを早くからあきらめる。そうすると、10代にもなると自分が一般社会には通用しない人間であることに気づくようになる。

だから、彼らの多くはスラムに残り、太く短く生きることを志向し、ギャング集団に入って手っ取り早く他人から奪って生きるようになっていく。

スラムでは、すっかりあきらめて人生を「投げてしまう」人も多い。最初は這い上がろうともがいたのかもしれないが、何度も何度も蹴落とされて這い上がれないことを自覚すると、あとはもう堕ちていくばかりになる。

いったん堕ちると、アルコールに溺れ、ドラッグに溺れ、ますます現実逃避の度が進んでもっと堕ちる。貧困地区というのは、そうした人たちが大量にいる場所でもある。スラムの「魔の手」はアルコールやドラッグに溺れる人をつかむのである。

ただそれだけでなく、スラムの「魔の手」は奇妙な連帯感でも人々をつかんで離さないのが興味深い。

貧困地区にいる人たちは、そこに来るまでの道筋は違っていたとしても、堕ちたという境遇はすでに同じになっている。そうすると、同じ堕ちた者同士の傷を舐め合うかのような庇い合いも生まれる。

這い上がれない境遇や、あきらめや、もう何もかもどうでもいいと思う自暴自棄に、まわりの人たちが「俺もそうだ。同じだな」と同意してくれる。誰も否定してこない。同じ境遇なので、理解しやすく、仲間だと認められるとどうにも離れ難い心地良さまで生まれる。

どん底まで転がり堕ちて、絶望して人生を投げた人間には、向上心も勉学心も這い上がる気力も邪魔なだけだ。かくして、スラムの魔の手はスラムの全住民をしっかりつかんで、そこから抜け出せないようにしていくのだ……。

ブラックアジア・フィリピン編
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