浪費癖。「金の使い方」を改めるのは難しいのではないかと思うようになった

浪費癖。「金の使い方」を改めるのは難しいのではないかと思うようになった

無頓着な浪費癖というのは治るのだろうか……。浪費する人は、浪費の満足感を知っているので浪費の習慣ができている。自分に浪費癖があると自覚した時点で、毎月いくら金を使っているのか計算して管理するようなことができるようになるのだろうか。難しいのかもしれない。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

衣食住は必要最小限で良い。自分のために金も使わない

私は東南アジアで莫大な散財をしてきたので、この一点を見れば浪費家のように見える。

しかし一方で華美なものにはまったく関心がなく、衣食住は必要最小限で良いというスタンスなので自分のためにほとんど金を使わない。お陰で私は長らく東南アジアの歓楽街に沈没しても生き残った。

食べ物は生まれつき質素だ。極度の偏食もあってグルメ的な食材は最初から受け付けないので、安物のジャンクフードが私の日常食である。

東南アジアに行くと、屋台の飯がうまくて日本にいる時よりも栄養価が高いものを食べている。しかし、東南アジアの屋台はやたらと安いので、やはり食費にはあまり金がかからない。

着るものもあれこれ選ぶのが嫌いなので、出かける時はスーツにしている。スーツなら誰と会っても失礼にならないし、服装についてあれこれ考えなくてもいいので一番手間がかからないのだ。

実はスーツなら、普通に買ったものを二着くらい持っていれば事足りる。あれこれ私服を揃えるよりも金がかからない。

東京で暮らしているので住に関して言えばそれなりに金はかかっているが、分相応に高いところには住んでいない。私みたいな人間が高級住宅地の高級マンションに住むのは似合わない。それよりも、何か得体の知れないようなところに潜んでいる方が好きだ。

スラムでもドヤ街でも耐性があるし、かなり質素でも問題ない。

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私は、最初から欲しいものは何もないのかもしれない

仕事柄、コンピュータと周辺機器だけは金を使う。私は昔からApple派なのでコンピュータだけはコストがかかっている。しかし、よく考えたらそれくらいで他に自分のために金を使おうという気にならない。

2006年頃から、めまいや頭痛や聴力低下で危なっかしくて車もバイクも運転できないし、東京に暮らしていたら交通機関が発達しているので必要もない。車を持っていると金がかかるが、私はそこでも金がかかっていない。

そうなると、ますます私は金を使う場所がない。ブランド物もまったく欲しくない。長期投資はしているので資産は増えるばかりだが、ほとんど使わないまま死んでいきそうな気がする。

もしかしたら私は、最初から欲しいものは何もないのかもしれない。

私が自分の金の使い方を振り返るようになったのは、実は2020年の後半から2021年の4月頃まで、私はずっとパチンコ依存の人たちと会ったり話を聞いたり調べたりしていた時だ。

パチンコ依存に堕ちた人は実は湯水のごとくギャンブルに金を投じてすべてを失って借金を膨らませて、それでも止まらなくて苦しんでいた人たちなのだが、金を失い、金がないので、金に対する執着は凄まじくハングリーで鬼気迫るものがあった。

私は今までの人生で、彼らほど金に執着したことはまったくなく、バブル期で株を買って買って買いまくっていた時ですらも、金持ちになりたいからやっていたわけではないので信用に手を出さなかった。無理に高値を取りに行くこともなかった。

「東南アジアで数年のんびり暮らせればいいか」くらいの感覚で、私は金銭的にはハングリーではまったくなかった。

しかし、パチンコ依存に堕ちている人はハングリーなのだ。負けているからハングリーなのか、元々そういう性格なのか、それともギャンブルが性格を変えてしまったのか、とにかく「金・金・金」一辺倒で凄まじく金に執着する人が多かった。

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深みにハマればハマるほど、より深いどん底に堕ちる

東南アジアの歓楽街にいる時も、多くの女性たちが「金・金・金」と金に憑かれていて、男からあの手この手で毟り取ろうとする姿があった。だから、金に飢えている人たちのことはよく知っている。

こういった女性たちに揉まれた後に日本に戻って来ると、日本人はみんな金に淡白でそれほど強烈に金に対する渇望を見せつける人には会ったことがなかった。だから、日本人はそれほど金に対する渇望を持つ民族ではないと私は思っていた。

しかし、ギャンブル依存症の人たちは「別」だった。

彼らは凄まじく金に執着し、ハングリーだった。しかし、深みにハマればハマるほど、より深いどん底《ボトム》に転がり落ちて行くという悪循環にもがいていて、地獄の底から金をつかもうと手を伸ばしているように見えた。

彼らはギャンブルが「金儲け」だと思っている。それは、ギャンブルでたまに一攫千金という体験ができるからだが、その一攫千金の機会は稀にしかない。だから、客観的に見ればギャンブルは「浪費」なのである。

一般常識として「ギャンブルをしている人とは付き合ってはいけない」と言われる。ギャンブルは「止められない浪費」だから、稼いでも稼いでも失っていくばかりなので、ギャンブラーと付き合っていたらいずれは一緒に経済破綻する。

では、ギャンブルをしなければ浪費の問題は起きないのか。いや、もともと「浪費が好きなタイプ」がいて、そういう人はやたらと金を使うのでギャンブルしていなくても金は消えていく。

浪費が好きな人は1億や2億など、一瞬でなくすような金の使い方をする。

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こういう無頓着な浪費癖というのは治るのだろうか

浪費する人というのは、どういう人なのだろう。ギャンブラーは凄まじく金に執着するのだが、それはギャンブルで金を失っているからだ。気質的に浪費癖がある人というのは、金に無頓着な人が多いのかもしれない。

金があろうがなかろうが、気前良く他人に奢る人もいれば欲しいものをどんどん買ってしまう人もいる。

持っている金がいくらなのか、いくら使ったら金がなくなるのか、そういう計算をしないので、その場の思いつきや見栄やストレスで金を使ってしまうのだ。金を使うと満足感が得られるので、そうなると浪費しないと満足感が得られなくなってしまう。

それを繰り返ししているうちに、金がなくなる。

浪費癖のある人は計画性がない。計画性がないので、たとえばキャッシュローンやリボ払いや消費者金融で金が借りられるのであれば、それも「使える金」と考えてしまうのである。

そうやって無頓着に金を使いまくっているうちに、とうとう返せなくなってしまい、そこから返済地獄・借金地獄が始まっていく。

こういう無頓着な浪費癖というのは治るのだろうか……。

金の使い方というのは性格もあるし、気質もあるし、浪費した満足感を知っているので浪費の習慣ができている。自分に浪費癖があると自覚した時点で、毎月いくら金を使っているのか計算して管理するようなことができるようになるのだろうか。

私に「無頓着な浪費をしろ」と命令しても、私は自分の性格上からそれができないだろう。どうしても所持金を考えて頭の中で計算して、無頓着な浪費にブレーキをかけるだろう。私は「浪費」に向いていない性格なのだ。

とすれば、逆に「浪費に向いている人」を計画的に金の使い方を管理する性格にするというのも難しいような気もする。金を使いたい人は計画があろうがなかろうが金を使いたいのである。浪費したいのだ。

浪費するというのは、彼らにとって遺伝子レベルにまで組み込まれた本能であるようにも見える。そんな人たちが、性格を改めて浪費を直して節約につとめるようになるのだろうか……。

最近、いろんな人を見てきて、私は「金の使い方」を改めるのは難しいのではないかと思うようになってきている。

どん底に落ちた養分たち
『どん底に落ちた養分たち パチンコ依存者はいかに破滅していくか?』

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