多くの外国人は街にゴミを捨てることに抵抗感はない。それが意味することとは?

多くの外国人は街にゴミを捨てることに抵抗感はない。それが意味することとは?

景観を守るとか、街をきれいに保つという感覚は、日本人が突出している。大量の外国人が日本の街を埋め尽くし、地域を占拠するようになっていくと、真っ先に現れる街の悪しき光景は「ゴミ」であると私は考えている。美しい日本? そんなものは夢のまた夢の話になるだろう。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

多くの外国人は街にゴミを捨てることに抵抗感はない

日本の政府と財界は「留学生・技能実習生・単純労働者・インバウンド」という隠れ移民政策を国民に何も説明せずに粛々と押し進めている。すでに国内には約292万人近くの在留外国人がいるのだが、コロナ禍が終わったら一気に400万人近くになってしまうのではないか。

さらに政府はインバウンドで6000万人もの外国人を呼び込む予定でいるのだが、インバウンドと言っても数日で帰る外国人ばかりではなく、1ヶ月も2ヶ月も日本にいて、自国に戻ったらまたトンボ返りするように日本にやって来る「短期移民」的な外国人もいる。

こうやって大量の外国人が街を埋め尽くし、地域を占拠するようになっていくと、真っ先に現れる街の悪しき光景は「ゴミ」であると私は考えている。

すでに多文化共生の地域となった東京の新大久保や、埼玉の西川口などは、ゴミが無分別かつ乱雑に捨てられて大問題になってしまっているのだが、外からやってきた外国人にゴミを神経質に片づけさせようと思っても不可能だろう。

多くの外国人は街にゴミを捨てることに抵抗感はないからである。

日本を一歩出ると衛生観念が日本人のものとはまったく違って驚くことがしばしばある。タイでもカンボジアでもインドネシアでもそうだが、人々はどこにでも罪悪感もなくゴミを捨てる。

中国でもインド圏でもそうだし、アメリカでも中南米でも同じだ。基本的に、ゴミを持ち帰るとか片付けるとかという発想はない。もちろん程度の差はあるが、ポイ捨てに罪を感じたりはしていない。

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ゴミは隣に掃くだけなので、永遠にそこに溜まっている

街の至る所でゴミを捨てて、どうせ政府に雇われている誰かが片付けるのだから、と意に介さない。日本人のように神経質になって街の景観を考えるとか、人の迷惑を考えるというものはない。

衛生観念も違うし、景観に対する考え方も違う。それは仕方がない。文化がまったく違っているので、外国人に日本人みたいな振る舞いをさせることはできないのである。

日本の女性は、街を歩いている最中にツバを吐くということもないし、ガムを吐き捨てるというのもない。しかし、インドやカンボジアでは、一緒にいた女性がツバを吐くのは当たり前だった。

日本の子供たちはところ構わず小便をして回ることもないし、そこいらのドブで排泄するということもない。しかし、インドやバングラデシュでは子供たちがみんなどこでも好きに排泄している。貧困地帯であればあるほど、その傾向が顕著になる。

中米ホンジュラスに入ったときに感じたのだが、街を歩いていると、道の隅は捨てられたビニール袋が散乱したまま山になっていた。バスに乗って何十キロも走ったが、そのビニール袋のゴミの山は途切れることなく続いていて驚いたものだった。

中米では飲み物をビニール袋に入れて、ストローを挿して飲むのだが、みんなバスでそれを飲み終わると窓から放り捨てる。この国では、ゴミは道路の真ん中ではなく、道路の端に捨てるのがマナーなのだった。

インドのコルカタにいるときに見たが、商売人は店の前を従業員に掃除させる。従業員はゴミを掃くのだが、そのゴミはどうするのか。

集めてゴミ箱に捨てるとかではない。単に、隣に掃いて自分の店の周りだけをきれいにするのである。隣に店があると、その店もまたゴミを別のところに掃いて終わりにする。

ゴミはそのままそこに存在するから、翌日にはまた風で舞ったりして店の前に舞い戻る。そうすると、また隣に掃いて終わりにする。だから、永遠にゴミがどこかにある。

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街をきれいに保つ、という感覚は日本人が突出している

もちろん、ゴミ収集車がいつか来るのだが、日本のように紙屑《かみくず》ひとつ残さず持って行くような律儀さはない。適当にトラックに詰めて、半分以上を回収しないで次に行ってしまう。

見ていると、ビジネス街や大通りは真剣にやっているが、スラムになると途端に素通りしてしまって、ゴミが山になっても我関せずで放置している。

だから、インドでは意外ときれいな場所と、壮絶なまでに薄汚い場所がはっきり分かれていて、その落差は驚くほどである。

私の知り合ってきた女性は、国を問わず、みんなゴミに関してはいい加減だったように思える。好きだったスリランカ女性はどこでもタバコを吸って、吸い殻は灰皿ではなく、わざわざ水洗トイレや浴槽に投げ捨てていた。

トゥールコック地区で知り合ったあるカンボジア女性は、ゴミがあると窓を開けて外に投げ捨てていた。ゴミ回収車など来ているのは見たことがないので、昼間になって窓の下を見たら、果たしてゴミが散乱してひどい状況になっていた。

日本の感覚からすると、ずいぶんマナーのない女性に見える。しかし、そう感じるのは日本人だけ(もしくは先進国の人間だけ)かもしれない。

国外の女性がこういった行為ができるのは、もちろんそれが「悪いことだ」という決まりや慣習がその国にないからであり、誰もがやっていることだからだ。こういったことが気になる日本人には耐えがたいかもしれない。

しかし、世界の大多数の国では「ゴミはどこでも捨てて責任を取らない」というのが普通なのだ。

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「美しい日本」など、夢のまた夢の話になるだろう

多文化共生が進む日本で、2021年8月21日に私は興味深いと思う記事を目にしている。香川県で起きた事件なのだが、技能実習生としてやってきた2人のミャンマー人が逮捕されている。

この2人は大量のゴミを海岸に捨てて、廃棄物処理法違反で逮捕されていた。空き瓶や一斗缶、ペットボトル、古着などが入ったゴミ袋19袋(約72キロ)を海岸に捨てたというのだから、逮捕されても仕方がない案件である。

いったい何が起きていたのかというと、「日本は分別が細かすぎて、ゴミを出しても持って行ってもらえなかった」というのである。

確かに日本は「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」「資源ゴミ」とあって、それぞれゴミの日が分かれている。そして、ゴミ袋の中が分別されておらずに何もかも一緒くたになっていたら持っていってくれない。2人のミャンマー人は困り果てていたのである。

日本人から見ると「ゴミの区分けなんか子供ですらもできるはずだ」と思う。

しかし、それは日本人だからそう思うのであって、外国人からしてみれば「なぜ、こんなに事細かに分別しなければいけないのか分からない」のだ。面倒だし、やる気もない。

この2人のミャンマー人が特別にゴミの処理ができないのではなく、新大久保や西川口を代表とする外国人が大量に住んでいる地域《エリア》というのは、だいたい同じ傾向があって、ゴミの出し方がめちゃくちゃで街がいつも散乱している。

分別もされていないし、出し方もめちゃくちゃだし、誰も片づけない。彼らにとっては「それが普通」なのである。だから、彼らの祖国がゴミだらけのように、彼らが日本に住む地域もまたゴミだらけになっていく。

少なくとも、景観を守るとか、街をきれいに保つ、という感覚は日本人が突出しているのは間違いない。他の国、特に途上国に関して言えば、どこも呆れるほどルーズである。

そういうわけで、大量の外国人が街を埋め尽くし、地域を占拠するようになっていくと、真っ先に現れる街の悪しき光景は「ゴミ」であると私は考えている。「美しい日本」など、夢のまた夢の話になるだろう。

ブラックアジア
『ブラックアジア・インド・バングラデシュ編 売春地帯をさまよい歩いた日々(鈴木 傾城)』

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