極道・覚醒剤・前科11犯・獄中20年。そこから更生の道を歩む中林和男さんのこと

極道・覚醒剤・前科11犯・獄中20年。そこから更生の道を歩む中林和男さんのこと

新宿・歌舞伎町で『大日本朱光会』という右翼民族派の重鎮である阿形充規《あがた・みつのり》先生にお会いして話をしていた時があった。大日本朱光会は日本有数の民族派右翼団体であり、阿形先生は野村秋介氏の盟友でもあった人である。

その阿形先生が私に一冊の書籍を出して、私にこう言った。

「もし良かったら読んでみてくれないか。この著者の中林さんというのは、刑務所の中から手紙をくれた人で今は立派に更生されてボランティアをしておられるんだ」

書籍を受け取って題名を見てみると『ゴミと呼ばれて 刑務所の中の落ちこぼれ』とあり、帯には「前科11犯、獄中生活20年…」と大きく書かれている。

極道として生きていた人だから、組のために懲役に行くこともあるだろうが、それにしても前科11犯は尋常ではない。「駐車違反は罰金ですが、注射違反は地獄行き」と書かれているので、覚醒剤で再犯を繰り返しているというのはすぐに分かった。

阿形先生から本を受け取ったその日にはすぐに読み進めたのだが、読んでみるとこれがなかなか面白い。大阪出身の人なので例によって大阪人特有のジョークが満載で、悲惨な境遇を語っているはずなのに飄々とした語り口のせいで読んでいて思わず笑みが浮かぶ。

それでも冷静に考えれば、ケンカに明け暮れ、極道の世界に入り、覚醒剤を覚え、少年院に入り、刑務所に8回入っているのだから、言って見れば札付きのワルである。裏街道まっしぐらだ。

そんな人が覚醒剤で流転しながら生きてきて、ある看護師と出会って心を通わせて結婚し、更生し、今はボランティアをしていることが本に綴られている。私がうろついている西成《にしなり》区の話もふんだんに出てくる。

言うまでもないが、西成は覚醒剤の最前線である。警察の相次ぐ摘発で今は地下に潜っているが、それでもいくつかのスポットには売人が立っている。本を読み終わって、私は中林和男さんと会いたいと思うようになった。

連絡を取ってみると、もう大歓迎ですぐにでも会ってくれるという。そこで私は8月25日に西成のドヤに転がり込み、26日の午後4時30分に西成のど真ん中で中林さんと会うことにした。

「この子たちは僕がおらんと寂しがってあかんねん」

緊急事態宣言の中で待ち合わせした店が休業になっていたのだが、中林さんは律儀に5分前には来てくれていた。私が「中林《チュウリン》さん!」と声をかけると中林さんは驚いていたが、すぐに人懐っこい笑みを浮かべて会釈してくれた。

中林《チュウリン》というのは彼のあだ名だったのは書籍に書いていて、それが何となく印象深かったので、私は以後ずっと中林さんを「チュウリンさん」と言った。

中林さんは自転車でやってきて、かわいらしいヨークシャーテリア二匹を自転車カゴに入れてやってきていた。

ユメタロウとモモと名付けられていて「こっちがユメタロウで、こっちがモモ」と言われたのだが、二匹ともあまりにも似ているので私は目を離して再び見たら、もうどっちがどっちなのか分からなくなっていた。

「この子たちは僕がおらんと寂しがってあかんねん。だから、どこに行くにも連れて行ってんねん」と中林さんは笑う。この二匹は本当に中林さんに懐いている。

「この子たちのためにも頑張らなあかんねん」

実は書籍にも書いていたのだが、中林さんも妻となる方も中林さんと結婚する前からタロウという名の犬を飼っていて、その犬を寿命まで大切に大切に可愛がっていた。

タロウがいなくなってから、中林さんは懐いてくれる犬の愛おしさが忘れられずにヨークシャーテリア二匹を飼うようになっていたのだった。

つぶらな目で庇護者である中林さんをじっと見つめる二匹を愛情たっぷりと抱きしめる中林さんを見て、この人は優しさが分かる人なのだろうとすぐに私は理解した。前科11犯だが、ほとんどは覚醒剤がらみの再犯である。覚醒剤に取り憑かれたことによって中林さんの人生は大きく翻弄されていたのだ。

中林和男さん。この人は優しさが分かる人なのだろうとすぐに私は理解した。前科11犯だが、ほとんどは覚醒剤がらみの再犯である。覚醒剤に取り憑かれたことによって中林さんの人生は大きく翻弄されていたのだ。

17歳に少年院から45歳まで、ほぼ「刑務所人生」だった

どれだけ覚醒剤に翻弄されていたのかは、書籍『ゴミと呼ばれて』にも書かれているのだが、改めて見ると「こんな人生もあるのか……」と驚くほど強烈だ。

「いやー僕ね、20代30代はずっと刑務所ですわ」と中林さんは言う。

25歳で恐喝と覚醒剤で大阪刑務所。28歳の時に出所したのだがすぐに覚醒剤で逮捕されて再び大阪刑務所。30歳で出所するとまたもや覚醒剤で京都刑務所。33歳に出所するのだが、出所したら再び覚醒剤で逮捕されて京都刑務所。

36歳で出所するのだが、ふたたび覚醒剤で逮捕されて大阪刑務所。39歳の時は傷害罪で逮捕されたがこの時も覚醒剤が入っていたのだが水を飲みまくって汗で出して覚醒剤の反応は出なかった。しかし、傷害罪で収監された。42歳で出所すると再び覚醒剤で大阪刑務所……。

まさに17歳に少年院にぶちこまれてから45歳まで、ほぼ「刑務所人生」であったことが分かる。しかし、45歳で中林さんは更生を誓った。

「誓った……」と言っても、誓ってすぐに更生できるものなのだろうか。

書籍には、45歳で更生を誓ってから刑務所を出た後、父親の墓で涙を流して人生をやり直す場面が書かれている。

看護師の働きかけも更生のきっかけとなっていたのだが、実は書籍には書かれていなかった、とても重要な「出会い」が中林さんにあった。

西成は緊急事態宣言でどこの店もやっていないので、私たちはブラブラと歩きながら他愛のない話をしていた。三角公園で身体を休めながら炊き出しを待っているホームレスたちを見つめながら、その人の話を聞いた。

「阿形先生がいなかったら更生できなかったですね」と、中林さんは言った。

中林和男さんと鈴木傾城。中林さんとは初めて会ったのだが本当に楽しい時間を過ごした。今度また大阪に寄ったらジャンクフードを一緒に食べる約束をした。楽しみだ。

全国のヤクザの親分に片っ端から手紙を書いた時

中林さんは書籍『ゴミと呼ばれて』にも書いているのだが、拘置所内で何とかして現金を手に入れるために、小学校の恩師やら弁護士などに必死の手紙を書いていた。弁護士からはほとんど返事はもらえなかったが、小学校の恩師からは奇跡的に金を送ってもらっている。

そして、中林さんは会ったこともない全国のヤクザの親分に片っ端から手紙を書いて「金を送って下さい」と手紙をしたためていたのだった。

「親分に憧れ、渡世を歩んできましたが、刀折れ矢尽き、夢破れて八方塞がりになりました」とか「あめ玉ひとつ、コーヒー一杯買うお金もなく己の不遇を憐れんでおります」書いて、「いくばくかの金を送ってくれませんか」とつなげた。

本当のことであるというのは間違いないのだが、それにしても全国の親分に「金を送ってくれ」と言うのだから、考えてみたらすごいことではある。

覚醒剤で何度も逮捕されている見も知らぬ人間から届いた手紙に、ヤクザの親分は果たして反応するのだろうか……。

実はここが面白いところで、ヤクザの親分にも「任侠」に生きている人が今も大勢いる。任侠というのは、困っていたり苦しんでいたりする人を、見返りも、恩義も求めず、身体を張って助ける行為を指す。

「刀折れ矢尽き、夢破れて八方塞がりになりました」と手紙を送ってくる人間を黙って助けるのが任侠の世界である。中林さんの手紙で少なからずの親分が、組も違えば会ったこともない人間に数万円から10万円を黙って現金封筒で送ってきたのだった。

さすがに中林さんも「親分の任侠を悪用してしまった」と反省して返そうとしたのだが、今度は「送った記憶などない」と親分は受け取ろうとしない。これが任侠の世界であった。

その中で、特に中林さんの境遇に心を痛め、中林さんを励ますように、何度も何度も手紙や現金をしたためていた任侠人がいた。それが、当時は住吉会の日野一家だった阿形充規氏であった。

不可能とも思えた更生に背を押したのは任侠道だった

中林さんは拘置所で送ってもらった阿形氏の現金を持って刑務所に入っている。そして、刑務所に出て今度は傷害罪で逮捕された時、2年2ヶ月ずっと裁判で戦っていたのだが、その時にも一面識もない阿形氏に手紙を書いている。

この当時、阿形氏は日野一家六代目総長に就任していた。さらに住吉会の五本の指に入る慶弔委員長をも兼ねていた。義理事を重んじるヤクザの世界では重責の地位である。

その地位にあって、多くの部下を持つ阿形氏は、会ったこともない中林さんに2年2ヶ月ずっと送金し、直筆の手紙も送っていたのである。任侠という生き方があったとは言えども、これほどまで任侠を貫き通す人物は珍しい。

「会ったこともないのにずっと阿形先生はお金を送っていたんですか?」
「鈴木さん考えられますか? 嘘や言われるけどホンマですわ」

中林さんは言う。中林さんはその後に「更生する」と誓ったのだが、3年後の42歳で出所したら、再び覚醒剤に手を出して刑務所に舞い戻っていったのである。しかし、この3年の刑務所で中林さんは更生に向かう下地ができていた。

「このままでは阿形先生に顔向けでけへん。だからまともな人間にならなあかん。それで阿形先生に連絡できる」

最後の苦しい刑務所生活は、まさに覚醒剤からの離脱のための準備だったのだろうと思う。中林さんの不可能とも思えた更生に背を押したのは、まさに「阿形充規」という希有な人物の研ぎ澄まされた任侠道だったのである。

「僕みたいな人間にも、中林さん中林さん言うてもらって、ほんま恐縮しております。阿形先生は『手紙が捨てられへん性分でね』と言って、僕が送った手紙もまだ保管してくれてるみたいですわ」

中林さんは、言った。実は、その中林さんもまた阿形先生から折りに触れて頂いた手紙をきちんと持っていて、それを心の支えにして生きている。

中林さんの不可能とも思えた更生に背を押したのは、まさに「阿形充規」という希有な人物の研ぎ澄まされた任侠道だったのである。

残りの人生、中林さんは子供たちへのボランティアに生きる決意

阿形先生の手紙には中林さんを気遣う心からの言葉があり、修羅の世界を生きてきた「阿形充規」という任侠人の生き様もまた散りばめられている。

「色々と納得のいかないことや理不尽なこともあるかもしれませんが、これも世の常です」

「自分に信念を持って人生を闘い抜いて下さい」

中林さんの闘いは「自分との闘い」である。私自身は中林さんを見るまで「覚醒剤依存者の更生はかなり難しい」という認識を持っていたのだが、中林さんを見ていると「難しいかもしれないが、可能性はゼロではない」という確証を持った。

残りの人生、中林さんは子供たちへのボランティアに生きる決意をした。中林さんは子供の頃は好きなものを食べることができなかった。お菓子も肉も食べられる家庭ではなかった。

そのため「今もそういう子供たちがいるのではないか」と考えて、公園に行ってそうした子供たちにポップコーンを無料でプレゼントするという活動をしている。さらに、印税も「社会福祉協議会」に寄付すると言う。貧しい子供たちに役立ててもらうためである。

今まで社会に迷惑をかけてきた分だけ、これからの人生を使って贖罪に生きるというのである。

「私は有言実行で生きています。傾城さん、ぜひ見届人になってください。社会福祉協議会への寄付の領収書はTwitterの1番上のピンどめのところをタップして頂いたら下に出てきます。寄付などと口に出した時点で値打ちがなくなりますが、しかし私は自分を追い込むためにも口に出して実行していきます」

中林さんはそのように言う。中林さんと楽しい談笑の時間を過ごし、別れてひとりになった時、今までずっと一匹狼で生きていた私は、まったく違う道と世界に生きている男たちが持つ独特の世界に思いを馳せた。

『ゴミと呼ばれて―刑務所の中の落ちこぼれ(中林 和男)』

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