好きでもない仕事を長時間せざるを得ない状況で要領が悪ければ破滅に向かう

好きでもない仕事を長時間せざるを得ない状況で要領が悪ければ破滅に向かう

2018年5月25日、日本政府は「働き方改革関連法案」を賛成多数で可決したのだが、この法案に盛り込まれた「高度プロフェッショナル制度」を巡って怒声が飛び交う騒ぎとなった。

高度プロフェッショナル制度とは、年収1075万円以上の人間を労基法による労働時間の規制の対象から外し、残業代も支払わなくても良いという制度である。

これに懸念が示されているのは、「いずれ対象の年収がどんどん下げられていくのではないか」「サービス残業等の日本の奴隷的な労働がより悪化して過労死が増えるのではないか」と思われているからだ。

かつては死に物狂いで働いたら、それが評価されて出世や給料アップにつながった。しかし、現在は必死で働いても、会社の業績が落ちれば社員の働きに関係なくリストラが横行する時代と化している。

高度プロフェッショナル制度は、労働者を極限まで働かせて使い捨てにする制度になるのではないかと思われており、だから大きな懸念が表明されている。(鈴木傾城)

プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

いいように働かされ、使い捨てにされている現状

企業はすでに2000年代に入ってから社員を非正規雇用に置き換えて、いつでも使い捨てできる体制を作り上げている。

それに比例して、かつては「エコノミック・アニマル」とも揶揄された日本人も、もう苛烈な労働に対してそれほど意味があるとも幸せだとも思わなくなっている。

「猛烈に働いて猛烈に稼ぐ」というよりも「それなりに生活できれば自分の時間をすべて削ってまで必死に働きたくない」という意識の方が支持されるようになった。

にも関わらず、日本の労働時間は世界的に見ても異常なまでに長いのは、いくつもの複合的な理由が重なっている。

第一に、日本では未だに「夜遅くまで残業して会社に尽くす人」が評価される。だから、効率的に仕事をして定時に帰る人よりも、だらだらと非効率に仕事をして残業する人が評価される。それが長時間労働を横行させる。

第二に、非正規雇用者は十分な給料がもらえないので、いくつもの仕事を掛け持ちして身体を壊すまで働くしかない。

第三に、若年層の労働環境の悪化を見て「ここを辞めたら仕事は見つからないぞ」と脅して長時間労働に追いやるブラック企業も社会に定着してしまった。

日本の若者の死因の第一位は「自殺」だ。若年層は自分たちがいいように働かされ、使い捨てにされているのを理解しており、次々に生きる力を喪失している。

年間1000人近くの若者が、精神的に追い込まれて自殺を選択している。それは異常な事態であると認識しなければならない。

そうしなければならないと押しつけられている

人間はもともと好きでもない仕事に対して死に物狂いで働くようにできていない。

しかし、資本主義が徹底化された現代社会では、仕事が好きだろうと嫌いだろうと働かざるを得ない。

しかも、仕事に競争原理が取り込まれているので、他人と激しい競争をしながら働くようになっている。競争に負けると蹴落とされ、収入の格差となって現れる。

また、同時に欲望を刺激され、物欲を極限までそそのかされ、不必要なものを手に入れるために、不必要なまでの労働も必要になっている。

さらに資本主義の社会では老いても金がないと生きていけないので、「将来のため」にも備蓄しなければならないという側面もある。

そのために、寝食も忘れて働かざるを得なくなった。先進国になればなるほどそうなのだ。

しかし、それは人々の本意ではない。ただ馬車のように追われて、追いたてられて、働かされているだけなのである。そうしなければならないと押しつけられているのだ。

人々は、「何かおかしい」「こんな人生は求めていない」「今は幸せではない」と思いながら追われている。立ち止まって考えることは許されず、ただひたすら働かされる。

労働環境はどんどん悪くなっているのは中高年であればあるほど分かるはずだ。どんなに働いても、まったく安定が手に入らない。

「いったい何のために働かされているのか……」

そう思った瞬間に、人は自分の人生の苦痛を思い出す。そして、真面目に人生を考え、思い詰めた人間から自殺していく。

自分が好きな仕事に就いてそれで食べていけるか?

豊かになるために働くと人々は言う。しかし、その豊かさのために犠牲になっているものがあまりに多いことに誰もが気がついている。

だからと言って、何ができるわけでもない。仕方がないとあきらめて、日々、奴隷のように駆り立てられる。

本当であれば、「好きなこと」を仕事にできれば人間は何時間でも夢中になってそれをすることができる。だから「好きなことを仕事にせよ」と多くの人が口を酸っぱくして言う。

しかし、好きなことを仕事にできている人はそれほど多くない。ほとんどの人は、好きでもないことを命令されて「これも仕事だ」と思いながらやっている。

他人に命令されて生きる人生が楽しいわけがないし、ましてそれが長時間続けばストレスも凄まじく大きなものになっていく。

この状態を解決するには、どうするのか。

ひとつは「何としてでも本当に自分の好きな仕事に就けるように努力すること」だ。「好き」が仕事になって、それで十分に食べて生けるのであれば、これほど幸せなことはない。

それが無理なら「仕事の時間を減らして、プライベートで好きなことができるようにする」を目指すしかない。

政府も人々も、労働時間が長いか短いかを議論して騒いでいるのだが、問題の本質は労働時間ではないということに気づかなければならない。「自分が好きな仕事に就いてそれで食べていけるか」が労働の最大の問題なのだ。

本当の「働き方改革」というのは何か?

どのみち人間は好きでないことを長時間できるようになっていない。また好きでもないものを好きだと思いこんで自分を騙して生きることもできない。

自分を騙していると、結果的にツケを払わないといけなくなる。まず最初に精神が壊れ、次に身体が壊れ、最後に何もかもが駄目になって自滅する。

だから、好きでもないことをしなければならないのであれば、どこかで折り合いをつけるしかない。その折り合いをつけるのがうまい人を「要領がいい」と言う。

好きでもない仕事を長時間せざるを得ない状況にあって、要領が悪ければ破滅に向かっていると考えてもいい。

どうしても「好き」を仕事にして稼げないのであれば、要領よく生きなければならない。世の中をよく観察して、自分の置かれている状況を冷静に見つめるべきである。

政府は「働き方改革」という言葉を使っているが、本当の「働き方改革」というのは、長時間でも何でも「夢中になって取り組めて楽しめる仕事に就いて食べていくこと」だ。

「好き」ならば、仕事の内容や分野は他人の目を意識すべきではない。多くの人にとって清掃はあまり好きな仕事ではないかもしれないが、中には清掃の仕事が好きで好きで仕方がない人もいる。

いろんな人がいるから、いろんな仕事があるのだ。

好きでもない仕事に就いていて、どうにもならない状況に追いやられているのであれば、何とかして好きな仕事に就くのが「働き方改革」だ。

好きな仕事をしているが稼げないのであれば、それで稼げるように創意工夫をするというのも「働き方改革」だ。

「働き方改革」は自分自身が取り組むべき問題である。政府が押し付けるものは自分の「働き方改革」ではない。(written by 鈴木傾城)

 

「働き方改革」は自分自身が取り組むべき問題である。政府が押し付けるものは自分の「働き方改革」ではない。

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