コロナウイルスがインドで凶暴に変異したことで、インドの女神を思い出した

コロナウイルスがインドで凶暴に変異したことで、インドの女神を思い出した

インドの女神はどんどん凶暴な方に変異する。これが、インド国内に潜り込んだコロナウイルスが凶暴な方に変異する姿にダブった。「コロナウイルスもまたインドに入ったら、インドの女神のように振る舞うのか」と私は思ったのだった。「デルタ」はインド文化を学んだと肩をすくめた。(鈴木傾城)

「変異種」という言葉に何か引っかかるものを感じた

インドがコロナの変異種で地獄のような目に遭っている記事を昨日からずっと見ていたのだが、そうしているうちに「変異種」という言葉に何か引っかかるものを感じて、最初はそれに気付かなくて「何だろう……」とずっと心に残ったままだった。

「そう言えば、昔はインドの神々の名前を10人くらいは覚えていたな……」

そんなことを考えて、あのエキゾチックで不思議な神々の絵がとても懐かしくなった。昨日からずっとインドの神々の写真を見ているうちに止まらなくなって、今もあれこれあれこれ神々の姿と特徴を読んだりしている。

私が好きだった神は、コルカタの貧しい女たち、売春をして生きていた女たちが信じていた女神だった。あの、真っ黒な姿、舌を出して目を剥き出しにしたあの凶暴な女神……。

もうすっかり名前を忘れていた。インターネットで改めて調べていたら出てきた。「ドゥルガー」と「カーリー」だった。

久しぶりに「ドゥルガー」と「カーリー」の絵を見て、昔の友人にでも出会ったような気分になってじっと見ていたのだが、そう言えば「ドゥルガー」と「カーリー」はどのように違っていたのかの文章を読んで、私は「ああ、そうだった」と思った。

この女神は元は美の象徴である「パールバティ」という神なのだが、怒ると凶暴な神「ドゥルガー」になり、さらに怒るともう誰も手が付けられない狂神「カーリー」となる。

つまり、パールバティという女神が、怒りの感情でドゥルガーという女神になり、さらにはカーリーとうい女神になるのだった。そこで、「変異種」という言葉が私の中で腑に落ちた。

パールバティとドゥルガーとカーリー

パールバティ。柔和な女神の顔付きをしている。

ドゥルガー。武器を持ち、獅子に乗っている。

カーリー。生首を首輪にし、明らかに凶暴神と化している。

コロナウイルス「デルタ」がインドの神々のように振る舞う

最近、WHO(世界保健機関)はコロナに地名を付けたら差別を増長するとして、変異ウイルスをギリシャ文字で呼ぶようになった。

イギリス変異種=「アルファ」
南アフリカ変異種=「ベータ」
ブラジル変異種=「ガンマ」
インド変異種=「デルタ」

コロナのインド変異種は「デルタ」なのだが、東京大や熊本大などの研究チームはこのインド変異種が「アジア人の免疫から逃れるために発現した」と仮定している。

つまり、今までの武漢で生まれたオリジナルのコロナウイルスはアジア人には感染しにくいので、コロナウイルスの側でアジア人に感染しやすいように変異して、それがインド変異種=「デルタ」なのだという。

つまり、感染しやすく重症化しやすいように危険なウイルスに変異している。

その「変異」と「インド」という組み合わせが、私はずっと「これは何かデジャブがあるような気がする」と引っかかっていたのだが、今日インドの神々を無意識にあれこれ見ていて、パールバティとドゥルガーとカーリーの説明を読んで、その引っかかりがコロナウイルスと結びついた。

パールバティの変異種がドゥルガー。
ドゥルガーの変異種がカーリー。

インドの女神はどんどん凶暴な方に変異する。これが、インド国内に潜り込んだコロナウイルスが凶暴な方に変異する姿にダブった。「コロナウイルスもまたインドに入ったら、インドの女神のように振る舞うのか」と私は思ったのだった。「デルタ」はインド文化を学んだと肩をすくめた。

「変異するということ」「凶暴になる」という相似性

もちろん、インドの女神の変異とコロナウイルスの変異は何の関係もないし、イギリスでも、南アフリカでも、ブラジルでも、どこでも変異が起こっている。

だから、インドの変異種だけがインドで何か特別な振る舞いをしているというわけでもないし、別にインドに限らずに起きているので、インドの何かとコロナを結びつけることはしない。

そうではなくて、「変異種」という言葉そのものが引っかかって、何となくモヤモヤした気持ちのところを、インドの女神のことを思い出したという話だ。

「変異するということ」
「凶暴になる」

この二つの特徴が似通っていることで、インドでの「変異種」という言葉そのものが気になっていたのだった。インドでは他にも一個体が別個体になるケースがたくさんあって、それがインド神話を複雑なものにしている。

私たちは「一個体は別個体にならない」という発想を持っているので、インドの神が一個体から容易に別個体になるのが不思議に思う。

しかし考えて見れば、ウイルスだけではなく、昆虫界では毛虫がサナギになって蝶々になったりして、どんどん「変異」する。一個体が、まったく別の特徴を持った別個体になること、すなわちトランスフォームすることは珍しくない。

とすれば、インドの縦横無尽の「変異」こそ自然界を正しく示しているものであり、神々が自然に近いのだとすると、そうした「変異がある」というのは別に奇異に思う必要はないのかもしれない……等々と思い至ったのだった。

インドは今、コロナ禍で大変な事態になってしまっているのだが、一刻も早く収束して、あの混乱(マサラ)の世界を取り戻して、普通に戻って欲しいと心から思う。

インドの神々にそれを祈るとしたら、どの神に祈ればいいのだろう……。

「そうだ、シヴァ神だ」と私は思う。私は暗い部屋の中で、入口に立てかけていたシヴァ神の写真に、美しい女性が奇妙な仕草でシヴァ神に祈りを捧げる姿を思い出す。インドが懐かしい……。

コルカタ売春地帯
『コルカタ売春地帯 インド最底辺の女たちとハイエナの物語(鈴木 傾城)』

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