引きこもりも日本人である以上、私たちは誰でも彼らとは無縁ではないのだ

引きこもりも日本人である以上、私たちは誰でも彼らとは無縁ではないのだ

少子高齢化、引きこもり、8050問題……。「したたかに生きる力」がなぜ日本から欠如してしまったのか。それを考え、答えを導き出し、そして社会を改善していくのは、私たちにとっても役に立つ。なぜなら、そうした改善はめぐり巡って自分をもしたたかにしてくれるからである。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

日本は「ひ弱な男とフワフワした女の国」に見えてしまうのか?

日本出身のイギリスの学者にマークス寿子氏がいる。彼女は「ひ弱な男とフワフワした女の国日本」とか題名からして強烈極まりない書籍を出して、あまりにも痛烈に日本人を批判する。

そのせいで、多くの日本人を絶望させてしまっているのだが、外国に長く在住する日本人から見ると、日本は「ひ弱な男とフワフワした女の国」に見えてしまうものなのかもしれない。

あと、長らくタイにいるブラックアジアの読者から「日本は最近、男も女も弱い自分、社会に適応できない自分をマンガで書いて、それを共感してもらって喜んでいるのを見て、これはダメだと思いました」と先日になって連絡がきた。

私はマンガはほとんど読まないので、そのマンガがどれを指しているのか分からないのだが、そのような傾向は海外にいる人たちにとっては何となく気になる傾向として目に付くのかもしれない。

日本人から「たくましく生き残る力」「したたかに生きる力」が弱ってきているというのは、もう20年近く前から指摘されている。

引きこもりの若者が数十万人、もはや若者でなくなっても引きこもっている中高年を入れると100万人超え、さらに言えば親が80代になっても親の乏しい年金で暮らして共倒れになる8050問題の大量発生を見ても分かる。

親に寄生(パラサイト)しないと生きられない人々が珍しくなくなってきているのである。

これから日本は少子高齢化で社会全体が劣化し、立ち枯れに近い状態になる。そうなれば、もはや政府も、企業も、家庭すらもアテにならない時代になってしまうのは100%確実なのだ。

にも関わらず、日本人からどんな荒れた社会になっても生きていく「したたかさ」が日本人から消えていこうとしている。社会の悪化としたたかに生きる力の低下がダブルで襲いかかってきたら、もう助からないのではないか。

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今の社会を放置していると、引きこもりが大量生産されるだけ

日本社会は引きこもりを放置したままにしているのだが、日本はこうした「引きこもり」を救済するだけでなく、なぜ「引きこもり生まれるのか?」という部分を掘り下げて、教育や社会の仕組みを変えて行かなければ問題は解決されない。

それにしても、何が引きこもりを生み出しているのか。

日本が豊かになって、学校が子供に配慮するようになって、親が甘くなって、個人の性格が弱くなった。そして、挫折して引きこもっても親にすがって生きていけるようになった。親が異様に優しくて面倒を見てくれるようになった……。というのは一般的な見方だ。しかし、どれが根本的な問題なのか。

社会の仕組みの問題なのか?
学校の教育が問題なのか?
親のしつけが問題なのか?
個人の性格の問題なのか?
あらゆる問題の複合なのか?

私自身は上記に挙げた要因がそれぞれ複雑に絡み合って、引きこもりという存在が生まれているのだと思うが、あらゆる文献を見ても「引きこもりの原因はこれだ」と明確に記したエビデンスはない。

ある人は「甘ったれているだけだ。軍隊にでも入れて性根を鍛えろ」と言うし、ある人は「引きこもりを許容する親が情けない。叩き出せ。叩き出せないなら子供を放置して自分が家を出て行け」という人もいる。

実際、2019年には大分県で疲弊した親が引きこもりの49歳の子供を残して「家出」したケースもあった。

しかし、ある人は「引きこもりは心の問題なのでカウンセリングをしながら、本人が傷つかないように気長に社会復帰を促すのがいい」と言うし、「集団生活をする専門の施設に本人を転居させて、社会性を取り戻すところから始めると良い」と言う人もいる。

「強制的に家から引きずり出すべき派」も「そっとしておいて地道に解決を探るべき派」は今もそれぞれが論争している。どちらが正しいのか。やはり、ケースバイケースなのだろうと私は考えている。

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果たして日本は「したたかに生きる力」を取り戻せるのだろうか?

何も考えないで今の社会を放置していると、今後も引きこもりが大量生産されるだけということに気付く必要がある。

引きこもりの当事者を抱えていない人間から見ると、引きこもり問題も、8050問題も、他人事でしかないのかもしれない。しかし、決して他人事ではない。

なぜなら、彼らは最後には税金で救済しなければならないからだ。

どういうことか。「たくましく生き残る力」「したたかに生きる力」が極度に欠如した人間は、ひとりで生きられない以上は最後には「生活保護」に行き着くことになるのだが、この生活保護というのは私たちの支払っている税金である。

私たちの社会はどんな人であっても必要最小限の生活ができるように保護しなければならないのだが、その原資となるのは税金なのだ。したたかに生き残れる日本人が減ってしまったら、私たちの税負担はもちろん増える。

彼らが活躍していたら、彼らもまた税金を納める側だった。しかし、彼らは引きこもり税金で救済される側になっている。彼らのように社会で活躍できない人が増えると、私たちも問題を抱えることになるということだ。

引きこもりも日本人である以上、私たちは誰でも彼らとは無縁ではないというのは、そういうことなのだ。

別に税金が増えるから彼らが問題だと言っているわけではない。この説明は、引きこもる彼らの存在は私たちにもつながっている問題だということを説明している。彼らも同じ国の同じ国民だ。だから、無視して良い存在ではないのだ。

彼らの問題は私たちの問題として認識すべきなのだ。

彼らのためにも、社会のためにも、そして日本のためにも、引きこもりが増える社会ではなく、日本人の誰もが「したたかに生きる力」を持てる社会にした方が誰にとっても良いに決まっている。

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日本は「したたかに生きる力」を取り戻せるのだろうか?

日本人から「たくましく生き残る力」「したたかに生きる力」が弱ってきているというのは、今の私たちが真剣に考えて解決策を模索しなければならない社会問題であると私は思っている。

「したたかに生きる力」がなぜ日本から欠如してしまったのか。

それを考え、答えを導き出し、そして社会を改善していくのは、私たちにとっても役に立つ。なぜなら、そうした改善はめぐり巡って自分をもしたたかにしてくれるからである。

「いや、俺はもうすでにしたたかに生きられる」という人もいるかもしれないが、自分の兄弟や子供たちや関わる人がみんな強くしたたかであるとは限らないので、そうい人であっても、日本人全体が「したたかさ」で底上げされるのは良いことだ。

若年層が結婚するのを早々にあきらめたり、子供を持つのをあきらめるという原因も、もしかしたら「たくましく生き残る力」「したたかに生きる力」の欠如から来ているのかもしれない。

戦前の日本は今よりもはるかに貧困社会で環境も厳しかったが、当時の日本人の精神的な強さは今の日本人の比ではなかった。戦中の日本人も強靭な精神力を持ち合わせていた。日本は戦後のどこかで「したたかさ」が欠如した。

その原因を知り、それを改善するというのは今の日本人にとって必要な作業なのではないか。

少子高齢化も引きこもり問題も8050問題も、実はすべて「したたかに生きる力」の欠如という同一の問題から派生している可能性もある。

今の日本がマークス寿子氏の言うように「ひ弱な男とフワフワした女」を拡大再生産する社会なのだとすると、これを大きな問題として認識し、社会を改善することによって日本が復活する可能性も見えてくるのではないか。

果たして日本は「したたかに生きる力」を取り戻せるのだろうか?

ボトム・オブ・ジャパン
『ボトム・オブ・ジャパン 日本のどん底(鈴木 傾城)』

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