コロナで現代の資本主義社会が崩壊する不吉な予感を持つ人がゴールドを買う

コロナで現代の資本主義社会が崩壊する不吉な予感を持つ人がゴールドを買う

資本主義の崩壊、国家崩壊、クーデターと預金封鎖、第三次世界大戦のような大きな戦争、大量殺戮を伴う内戦、国をまたぐ逃亡……のような生存すらも脅かされるような極限的なサバイバルをしなければならない将来が想定されるとき、ゴールドだけが燦然と輝く真のサバイバルツールとなる。不動産は持って逃げられないし、資本主義が完全に崩壊したら紙幣も株式も意味がなくなる。ところが、ゴールドだけは相変わらず価値があるのだ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

ゴールドの価格はもっと上がるかもしれない

中国発コロナウイルスのパンデミックで全世界が混乱状態になっており、そんな中でほぼすべての国の中央銀行が経済を下支えするために莫大な金融緩和を行っている。金融緩和をするというのは、要するにその国の通貨をじゃぶじゃぶに刷って市場に回すということだ。

そのような中央銀行の動きに「不吉な予感」を感じる人たちがいる。

通貨をじゃぶじゃぶ刷っているうちに、もしかしたら中央銀行や政府は制御不能(アウト・オブ・コントロール)に陥るのではないか。ハイパー・インフレに陥るのではないか。世界中のあちこちの国がめちゃくちゃになってしまうのではないか……。

そのように考える人が今、金(ゴールド)を買い込んでいる。そのため、金価格がじわじわと上がり続けており、1グラム7000円にまで到達した。コロナ禍は収まらないので、ゴールドの価格はもっと上がるかもしれない。

ゴールドは、今も昔も褪せない輝きを見せている。

かつて、サイゴン(現ホーチミン市)が陥落してベトナムが共産主義になったとき、多くのベトナム人(大半は華僑だったようだが)が、共産主義から逃れるためにボートピープルとなった。

そして、ある時からボートピープルを狙った海賊が多発して、多くの略奪や殺戮が行われた。彼らは国を逃れるために財産を持てるだけ身につけていたのだが、海賊はそれを狙った。その財産は何だったのか。

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ほんのひとかけらのゴールドでもいい

ボートピープルとなって海上を漂っていた人々は、別にベトナムの紙幣を持っていたわけではない。それはただの紙屑である。ドルを持っていた人間もいただろう。しかし、ドルはかさばるし、何よりも荒波をかぶって進む激しい船旅の中では不安だったに違いない。

それよりも、もっといいものがあった。

小さいのに価値があり、どこの国でも簡単に換金できることが約束されており、隠しやすいもの。崩壊していく国家から逃げ出したベトナム難民の人々が唯一持っていた財産は、「ゴールド」だった。

海賊が狙っていたのもゴールドであり、そのほかのものは単なるオマケみたいなものだった。極限の逃亡劇とサバイバルの中で、もっとも人々が信頼したものは、まさにゴールドそのものである。

だから、アジアの海上で、ゴールド強奪戦が行われ、たくさんの人々がそのために死んで、海の藻屑と消えていった。

ゴールド……。

東南アジアや南アジアの人々は、昔から有事にはゴールドが命綱になることを固く信じて疑わなかった。そして、その信念はアジアのみならず、世界中で共有されている。たとえば、アラブ人もゴールドに強く執着する民族である。アラブでは、国よりもゴールドの方が信頼されているのである。

ゴールドというのは、彼らにとってアクセサリーや金歯にしか役に立たない貴金属ではなかった。ゴールドは自国の不安定な国の通貨よりも、よほど役に立つものだった。

ほんのひとかけらのゴールドでもいい。それが緊急時には役に立つ。もしかしたら、そのゴールドは先進国の通貨よりも役に立つ可能性もある。

たとえば、日本円はどこでも換金できる国際通貨(ハードカレンシー)であると定義されている。しかし、インドの聞いたこともないような田舎で日本円を持って行って換金を頼んでも断られる。

ところが、ゴールドを持っていたら、喜んでルピーと替えてくれる。田舎のインド人は「円」という紙幣など知らないが、ゴールドはよく知っている。

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ゴールドを身につけて、身を守る

東南アジアでもアフリカでも中東でも、国がおかしくなって逃げるときは、みんなゴールドを持って逃げる。世界中どこでもゴールドがあればサバイバルできる。それくらいゴールドは普遍的なものだ。

そう言えば、私が東南アジアの人たちのゴールドの偏愛に気がついたのは、やはりタイにいたときである。

ゴールドは国債や株式と違って金利がつくわけでもないし、複利で増えていくような性質もない。だから、「増やす」という意味では株式や不動産には劣る。

しかし、資本主義の崩壊、国家崩壊、クーデターと預金封鎖、第三次世界大戦のような大きな戦争、大量殺戮を伴う内戦、国をまたぐ逃亡……のような生存すらも脅かされるような極限的なサバイバルをしなければならない将来が想定されるとき、ゴールドだけが燦然と輝く真のサバイバルツールとなる。

不動産は持って逃げられないし、資本主義が完全に崩壊したら紙幣も株式も意味がなくなる。ところが、ゴールドだけは相変わらず価値があるのだ。海底で1000年放置されても、ゴールドはゴールドだ。

だから、途上国のような国家基盤が脆弱な世界で生きている人たちであればあるほど、ゴールドに頼るのだ。

1940年代の戦乱のヨーロッパや、1970年代の地獄のベトナムや、2013年の虐殺のシリアのようなところに放り込まれてサバイバルするのに、何が有効だったのか。言うまでもなく、ゴールドである。

コロナで世界がめちゃくちゃになって資本主義が終わってしまうのではないかと不吉な予感を感じている人は何を買っているのか。ゴールドである。

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ゴールドこそが「かけがえのないもの」

すべてを失って、全裸で泥の中に放り出されたとしても、ゴールドの指輪やネックレスや時計やイヤリングや金歯をひとつでも身につけているのであれば、それは無一文ではない。

財産と共にあるということだ。そのゴールドこそが「かけがえのないもの」であり、最強の切り札である。

インドの貧困女性はゴールドのイヤリングをしたり、鼻ピアスをしたり、あるいはサーリーにゴールドを縫いつけたりする。なぜか。ゴールドさえあれば、最悪の事態の中で道が開けるからだ。

もしあなたが政府も銀行も当てにできない国で、なけなしの貯金を持ったらどうしたらいいのだろうか。途上国の銀行など、いつでも吹き飛ぶ存在だ。吹き飛んだあとにペイオフもない。預けていた預金は、銀行と共に吹っ飛んでしまう。

そんなところでは、選択肢はひとつしかない。それは紙幣をゴールドに換金して、誰にも取られないように身につけておくことだ。ゴールドは高貴な者には富の象徴であるが、貧困者にはサバイバルの救世主である。

華僑がゴールドにこだわるのはなぜか。それはいつ排斥されるか分からないからである。そのときに、彼らは国外に脱出しなければならないが、幸運にも国外に脱出できたとき、ゴールドを持っていれば、その国の現地通貨でいつでも生活が可能になる。

ゴールドは、財産であると考えるよりも、サバイバルの時代の命綱として考えるべきだ。サバイバルのツールなのだから、常に身につけておけるものがいい。

ちなみに、私自身はコロナで資本主義が崩壊するとは思っていない。ワクチンや治療薬ができれば解決する問題であり、そうでなくても新しい生活スタイルに慣れたら、人々はコロナの中でも普通に生活を続けるだろう。

いずれ、コロナの問題は解決すると信じている。だから、株を売ってゴールドを買うような動きはしない。つまり、私は資本主義の継続の方に賭けている。

しかし、私とは180度違う考え方を持った人たちも大勢いて、彼らがゴールドを買っており、価格を押し上げているという「社会的現象」があることを興味深く見つめている。

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