世の中は常に不測の事態の積み重ねで成り立っているものだと私は考えている

世の中は常に不測の事態の積み重ねで成り立っているものだと私は考えている

将来は常に不確実であり、不安定であり、流動的である。だから、環境や、社会や、市場環境で、常に予期せぬ出来事が起きて人々を動揺させる。多くの専門家がいろんな分野で、いろんな未来を、したり顔でいろいろなことを予測する。しかし、それらの予測は「絶対」ではない。世の中は右でも左でも、上でも下でも大きくブレる。予測もしない事件が突如とやってきて今までの状況を何もかも変えることもある。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

人間は毎日どこかで誰かが突発的に死んでいる

私たちが漠然と信じているものは、何も根拠がないことの方が多い。たとえば、多くの人は自分があと何十年も生きると根拠もなく思い込んでいる。だから、「明日死ぬ」というのはあり得ないと考える。

しかし、人間は毎日どこかで誰かが突発的に死んでいる。

人間はいつか死ぬのだから、自分が明日死んでも何ら不思議ではない。いや、あと数時間後に、何かが起きて死ぬ可能性さえある。それは突然やって来る。

たとえば、日本は安全な国であると言われているが、それでも年間で60万件から80万件の交通事故が起きており、その死者も少なくとも3000人以上になる。

10年前は8000人を超えていたことを考えると、事故死はかなり減ったが、それでも数千人が「突然」命を落としているのだから決して少ない数ではない。2019年交通事故死者数は3215人だった。

この3215人は「今日、自分が死ぬ」とは想像すらしていなかったはずだ。その家族も同じだ。それは、いきなり巻き込まれる性質のものであり、予期することはできないのである。

事故だけではない。突発的に襲いかかって命を奪う病気も珍しくない。

急性心筋梗塞、狭心症、心不全など心臓病は、突然死を引き起こしやすい。クモ膜下出血、脳出血、脳梗塞、大動脈解離等で突然死を起こす人も少なくない。

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物事は、たった一つの出来事で完全に覆される

自分の身に何が起きるのかは、自分自身にも分からない。明日の自分のことさえも分からないのに、他人のことが分かるはずもない。

将来は常に不確実であり、不安定であり、流動的である。だから、環境や、社会や、市場環境で、常に予期せぬ出来事が起きて人々を動揺させる。

多くの専門家がいろんな分野で、いろんな未来を、したり顔でいろいろなことを予測する。しかし、それらの予測は「絶対」ではない。

世の中は右でも左でも、上でも下でも大きくブレる。予測もしない事件が突如とやってきて今までの状況を何もかも変えることもある。

あり得ないと思っていても、100%でなければどこかで起きる。これだけ科学が発達した今でも地震予測はまったくできないし、昨今は「地震など来ない」と言われているところでも地震が起きるようになっている。

起きる前は「あり得ない」と思っていても、何かが起きてあり得ないことが覆される。

中国発コロナウイルスにしてもそうだ。

このウイルスは、2019年までまったく噂にもなかったものだった。中国の武漢で「謎の肺炎」が広がっていると小さな記事に目を止めた人がいたとしても、それが全世界を揺るがし、グローバル経済に壊滅的ダメージを与え、社会のあり方を完全に変えてしまうなど思いもしなかったはずだ。

しかし、このウイルスは全世界で622万人に広がり、37万人の死者を出し、今もなお勢いはまったく衰えていない。南米とアフリカとインドでもっと広がっていく。

この37万人の死者とその家族は、つい数ヶ月前まで自分や家族がそんなもので死ぬとは夢にも想像していなかったはずだ。

1999年のカンボジアの売春地帯では何があったのか。実話を元に組み立てた小説、電子書籍『スワイパー1999』はこちらから

あり得ないと思っても、起きるときは起きる

人間は誰でも死ぬ。100%死ぬ。そんなことは誰でも知っている。しかし「明日死ぬ」と思っている人はほとんどいない。「1週間以内に死ぬ」と思っている人もほとんどいない。「100日以内に死ぬ」と思っている人もほとんどいない。

「逆にほとんどの人はあと10年は生きているだろう」と思う。少なくとも「まだ死なない」と考える。死ぬのは分かっているが、ずっとずっと先だと思う。「自分が死ぬ」というのが実感できないのである。

私たちは今までずっと生きていた。だから「明日も生きている可能性が高い」と無意識に考える。日本人の平均寿命は80歳なので、だいたいそのあたりまで生きられるのではないかと考えているはずだ。

しかし、平均寿命というのはあくまでも平均である。実際に自分がそこまで生きられる確証があるわけではない。もしかしたら、明日にもあり得ないことが起きる可能性がある。

誰かに殺されるかもしれない。交通事故かもしれない。病気による突然死かもしれない。コロナ感染かもしれない。あるいは、想像もしなかった他の何かかもしれない。

巨大地震に巻き込まれて死ぬかもしれない。日本は北米プレート、ユーラシアプレート、フィリピン海プレート、太平洋プレートが重なり合った危険な陸地であり、世界中で類を見ないほどの地震が起きる国である。

いつ巨大地震に襲われるのか分からない。南海トラフが大きく動いたら、東京・大阪・名古屋の大都市も壊滅的な打撃を受けて、約32万人が犠牲になってもおかしくない。

あり得ないと思っても、起きるときは起きる。今まで起きなかったからこれからも起きないというのは希望であって事実ではない。

地獄のようなインド売春地帯を描写した小説『コルカタ売春地帯』はこちらから

将来を正確に予測することは、決してできない

別に「いつ来るか分からないもの」に怯えて毎日を暮らす必要はないが、「自分はずっと死なない」というのは幻想であるのは理解しておかなければならない。自分という存在は、意外に不確かな中で生きているのだ。

しかし、予測できない何かが起きる可能性があるからと言って、もっともらしく何かを預言している人には気をつけなければならない。

世の中には、常に何か未来を予知できているような発言をしている人はいる。

そんな人の言葉に耳を傾けていると、本当に預言者がいるかのような気持ちになるが、実はそうではない。いろんな人がいろんなことを毎日のように「預言」しているのだが、その99%は外れて忘れられていくのだ。

毎日毎日「何かが起きる、絶対に起きる」と言っていたら、そのうちに「たまたま」何かが起きて当たる。だから、預言や予測が「正確に当たった」ように見えるのだが、実は当たっていない予言や予測の99%は忘れられているだけなので、本当は数を打っているだけなのだ。

いろんな人がいろんなことを言って、たまたま当たった人がクローズアップされて、あたかも預言者が本当に存在するかのように見える。

歴史を見れば将来が分かるという人もいる。しかし、歴史と同じ通りになる未来などひとつもない。同じようになることもあるが、同じにならないことも多い。

そもそも、これから何が起きるのか決まっているわけではないので、結論が決まっていないものに対して「正確に分かる」という方がどうかしている。

世の中を完全に見極めたり、制御できる人間はこの世のどこにもいない。仮に、世の中が読めたと感じても、突発的な予期せぬ事件が不意にやって来る。中国発コロナウイルスによる激変も2019年に予測していた人はひとりもいなかった。

結局、次に何が起きるのかは誰にも分からないのだ。世の中は常に不測の事態の積み重ねで成り立っているものだと私は考えている。誰に聞いても、明日のことなど絶対に分からない。明日は何か起きるかもしれないし、起こらないかもしれない。そんなものだ。

『ブラック・スワン ― 不確実性とリスクの本質(ナシーム・ニコラス・タレブ)』

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