タイの小悪魔アイリーンが町田の「ちょんの間」にいた時代が今も懐かしい

タイの小悪魔アイリーンが町田の「ちょんの間」にいた時代が今も懐かしい
『グッドナイト・アイリーン 町田「ちょんの間」の闇にいたタイ女性(鈴木 傾城)』
『グッドナイト・アイリーン 町田「ちょんの間」の闇にいたタイ女性(鈴木 傾城)』

私は電子出版でブラックアジア的小説『グッドナイト・アイリーン 町田「ちょんの間」の闇にいたタイ女性(鈴木 傾城)』を出している。この小説(中編)は一応、小説のスタイルを取っているが、内容のほとんどが実話である。

小説の舞台は東京の町田という場所だ。

かつてこの場所は、東南アジアから来た多くの売春女性が固まって「ちょんの間」の売春をしていた場所で、1990年代は南米の女性たちもサメのように徘徊していて国際色豊かな場所だった。

なぜ町田にこんな場所があったのかというと、そこがほどほどに心地良いラブホテル街で、売春ビジネスにちょうど良い場所だったからである。

どこの国でもそうだが、安ホテル街、ラブホテル街には売春ビジネスが影のように忍び寄ってくる。

1990年代というのはバブルが弾けた最初の10年であり、この頃はまだ外国人女性がたくさん夜の街に進出していた。その中で圧倒的に多かったのがフィリピン人だったが、ちょんの間はタイ人女性が主役だった。

取り締まっても取り締まっても新しい女性が来た

小説『グッドナイト・アイリーン』の登場人物アイリーンは、まるで欧米人の名前のようだが、彼女もれっきとしたタイ女性だ。

タイ女性はチューレン(仇名)を自由に付ける文化があるのだが、彼女のアイリーンもチューレンだったはずだ。

小さな小料理屋を模した売春宿で、身体にぴったりしたヒョウ柄のボディコンを着てビジネスをしていた。スタイルが良くてスラリとしていたので、その派手なヒョウ柄の衣服がよく似合った。

日本語は非常に流暢で、彼女には英語もタイ語も使わないでも日本語で事足りた。

いつも質問で私の感情を探り出すどこか悪戯っ子のような女性だったが、ときに皮肉のような意地悪のような質問を繰り出す彼女にとても惹かれた。

売春ビジネスは嫌われているし、売春女性も社会から害虫のように思われて、排除の対象になっており、この町田のラブホテル街にある小さな売春地帯は、この当時から住民の苦情などで何度も排除運動が起きていたと聞いている。

そのために警察のガザ入れは定期的に行われていたのだが、2004年に火事で焼け落ちるまで売春ビジネスはなくなることはなかった。

取り締まっても取り締まっても、次々と新しい女性が供給されていたのである。

こうした売春女性は、1980年代のバブル期に日本に殺到しており、それが2005年までずっと続いていた。当初、彼女たちは「じゃぱゆきさん」と呼ばれていたが、1年に8万人規模でやってきていたのである。

台湾人も、大陸の中国人も、タイ人も、フィリピン人も、みんな日本のアンダーグラウンドにいた。中にはパナマ人や、コロンビア人までいた。

中南米の女たちはドラッグを運ぶ「ドラッグ・ミュール」をして日本に入り込み、売春ビジネスをして、稼いだら本国に帰るというパターンを繰り返していた。

パナマ女性は北池袋に、コロンビア女性は新大久保に固まっていた。1990年代の日本は、実に国際色豊かな外国人女性の黄金期だったのだ。

町田のかつてのちょんの間があった場所。右側の建物がちょんの間だったが、跡形もなく消えてしまった。

この時代の境目は今でも強烈に覚えている

1990年代の日本は「じゃぱゆきさん」が殺到していたので、売春ビジネスは下手に海外に行くよりも、日本の方がずっと面白かったと言える。

バンコクも飛行機で半日くらいで行ける時代にはなっているが、それでも国外に出るのは手間がかかるのは間違いない。

私は東京に住んでいるので、北池袋や新大久保は30分で行けるし、アイリーンに会いたいと思えば、1時間もしないうちにすぐに会えた。

ストリートを歩けば、はぐれ者のベネズエラ人やコロンビア人が寄ってきて、異国の香水と体臭を振りまきながら情報交換ができた。今思えば、これほど日本のアンダーグラウンドが面白かった時代はない。

しかし、この「じゃぱゆきさん」たちの結集する時代は2005年に完全に断ち切られた。

折しも、町田の「ちょんの間」も火事で焼け落ちたので2004年に完全閉鎖に近い状態になっていった。

アイリーンが町田から消えたと同時に、私はもうすっかり町田に関心を失って、それ以来10年近く足を運ばなかった。

2005年には隆盛を誇っていたフィリピン・パブも消えていった。外務省が興行ビザを急激に厳しくしたので、フィリピン女性が日本に入国できなくなってしまったのだ。

このあたりの経緯はこちらに詳しく書いた。(ブラックアジア:日本の赤線地帯「黄金町」は、なぜ2005年に潰されたのか?

アイリーンがいなくなって傷心しているところに、ばたばたと日本の「じゃぱゆきさん」たちも消えていったのだが、2004年、2005年というのは日本のアンダーグラウンドが激変した時代だったのだ。

この時代の境目は今でも強烈に覚えている。

彼女たちがいなくなってから日本は経済衰退が鮮明になり、格差や貧困が若年層から目立つようになって、日本はことさら暗い国になったものだと嘆息したものだった。

かつて、売春する女たちがグループを作って立っていた橋。今はもう寒々として誰もいない。

派手な小悪魔のようなアイリーンがいた時代が懐かしい

あまり知られていないが、このドバイもかつての日本のバブル時代のように大量の外国人売春女性がひしめいて、カネを稼いでいる売春ビジネスの集積地である。

しかし、景気が悪くなったら誰も売春ビジネスにカネを落とさなくなるので、彼女たちはドバイから去る。アイリーンのような女性たちが、したたかに一稼ぎする機会が減って女性たちが去って火が消えたようになる。

彼女たちがいなくなったというのは、その国は景気が悪くなって稼げなくなったということである。

アンダーグラウンドに金を落とすのは表社会の男たちだから、彼女たちが見切りを付けたということは、表社会が駄目になったということでもある。

いつだったか、リトル・マニラと呼ばれる「竹の塚」のフィリピン・パブに生まれて初めて行ってみたことがある。(ブラックアジア:「竹の塚」のリトル・マニラ。フィリピン女性は今もいる

ここで働いている女性にいろいろ聞いてみると、やはりリトル・マニラとは言うものの、多くの女性が興行ビザが取れなくなってフィリピン・パブも往年の隆盛は取り戻すべくもない状況のようだ。

日本はバブル崩壊から30年目を過ぎた。しかし、これだけ時間が経っても、かつての日本の絶頂期をここ数年で取り戻す気配はない。

アイリーンのような女たちが群れをなして日本に戻って来たら、日本の景気に点火されたという合図になるが、そんな兆しはまったくない。つまり、日本の経済的苦境はまだまだ終わらないということなのだろう。

アイリーンのような女たちが、「来るな」と言っても来るような時代に戻って欲しいものだ。表社会の人間たちから毛嫌いされながらも、したたかな目で男を見ていた彼女たち。あの、派手な小悪魔のようなアイリーンがいた時代が懐かしい。

『グッドナイト・アイリーン 町田「ちょんの間」の闇にいたタイ女性(鈴木 傾城)』

注意。新しい版を欲しい方はこちらを参考に!

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