信じられないかもしれないが、私たちは憎悪が生み出した果実を楽しんでいる

信じられないかもしれないが、私たちは憎悪が生み出した果実を楽しんでいる

日本と韓国との対立・衝突が激しくなってきている。互いに価値観を共有しない上に、長い歴史が対立を深刻化させている。しかし、世界を見回して見れば民族対立はどこにでもあって珍しいものではないというのが分かる。

たとえば、アイルランド人とイギリス人の対立は非常に長く12世紀からすでに対立と衝突を起こして、以後は延々と領土問題・宗教問題・食糧問題で揉め続けて現在に至っている。

中東ではイスラエル人とパレスチナ人がどんな仲介も意味がないほど苛烈に憎み合い、殺し合っている。スリランカ国内では、紛争自体は終わったとは言え、タミル人とシンハラ人の対立と憎悪は深いままだ。

スーダンと南スーダンも、国が割れて互いに不干渉になって平和になると思ったらまったくそうではなく、いつまでも互いに相手を攻撃し合って死者が出ている。

中東も一枚岩ではなく、イラクとイランは犬猿の仲であり、クルド人はクルド人でイラク・イラン・トルコのすべての国と宗教的に折り合えずに居場所がない。

中国は周辺国ばかりかアメリカとも対立しており、ロシアもウクライナやアメリカと激しく衝突している。アメリカはメキシコと常に揉めているし、世界中のあちこちに軍事的介入を行って嫌われている。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

いずれは「狩られる」立場になっていく

ミャンマー国内では、ロヒンギャ族とミャンマー人の間で激しい衝突が起きたまま一向に収まらない。アウンサン・スーチーも、ロヒンギャ族の迫害には表立って動こうとせずに国際社会から激しく批判されて見捨てられた。

なぜ欧米が持ち上げていたアウンサン・スーチーは、ロヒンギャ族を擁護しなかったのか。彼女もまた「ロヒンギャ族はミャンマー人ではない」と思っており、「ミャンマーから出て行って欲しい」と思っているからではなかったか。

ミャンマーは仏教国だが、ロヒンギャ族はイスラム教だ。

少数派のイスラム教徒はどこの国でも迫害されやすい。今、最も激しく迫害されているイスラム民族と言えばウイグル人だが、中国のウイグル人に対する扱いは筆舌に尽くしがたいものがある。

街の至る所に監視カメラを設置してウイグル人を監視し、モスクを次々と破壊し、100万人を強制収容所に放り込んで宗教心を完全破壊し、若い女性を収容所内でレイプし、逆らうものは臓器売買の対象にしてしまう。

中国はチベット人にも同じことをしており、チベット仏教とチベット文化を完全破壊し、逆らうチベット人を次々と弾圧し、拷問してきた。

明らかな人権侵害がそこに行われていたのだが、助けを求めるチベット人を国際社会は無視してきた。世界はチベット人の人権よりも中国で儲けることが重要だったからである。(ブラックアジア:助けを求めるチベット人の炎の叫びを私たちは拡散すべき

しかし、中国の傲慢不遜な政治はいずれは中国人に対して激しい憎悪となって返っていく。漢民族は周辺国の激しい憎悪を買っていずれは「狩られる」立場になっていくだろう。

一度、民族間で憎悪に火が付くと、もはや修復不可能と言ってもいいほどの民族対立となって継続していく。

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インドの国内外で渦巻く憎悪も果てしがない

民族憎悪は、双方の力が膠着している間は決して消えることはない。収まっているように見えても、それは地下でくすぶっているマグマが見えないだけだ。何かのきっかけがあると、すぐに爆発して深刻な問題になる。

民族対立があるのは、実は政治家にも有利である。なぜなら、失政で国民の不満が高まったら、その不満の矛先を敵対する民族に向ければいいからだ。そのため民族対立は政治によっても焚き付けられる。

それによって、さらに憎悪が拡散していく。

もともと同じ民族でも状況は変わらない。たとえば、インド人とパキスタン人は、もともと同じ民族である。宗教が違うから国が割れただけだ。しかし、この両国の相互憎悪は、「次の核戦争はこの民族対立が引き起こす」と言われるほど容赦のないものでもある。

インド・パキスタンは、お互いに心の底から妥協がないほど憎み合っている。政治家が和解しようものなら、必ずテロ事件が起きて元の相互憎悪に戻っていく。こういったこともあって、インド国内のイスラム教徒は激しい差別の中にある。

ヒンドゥー教はいまだにカースト制度があって、低カーストやカースト外の不可触民(ダリット)と呼ばれる人が存在する。彼らはカーストを捨てないヒンドゥー教に嫌気がさして、イスラム教や仏教に改宗していく。

だから、ヒンドゥー教徒は、ますますイスラム教徒や仏教徒を憎む。

インドが深刻なのは、隣国に激しい憎悪を持ちながら、国内でも宗教対立がしばしば起きることである。インドは広大な大陸であり、同じインド人と言っても、民族も言語も文化も違う人たちの寄せ集めで国ができている。

すべてがカオスであり、だから、この国の成長は一筋縄ではいかないことを理解しなければならない。

 

映画『ホテル・ムンバイ』では、2008年にタージマハルホテルで起きたイスラム過激派の起こした事件を題材にした映画だ。こうした事件の積み重ねが対立と衝突を深刻なものにする。

憎悪が生み出した果実を楽しんでいる

世の中で起きている多くの戦争は民族対立である。愛と平和を叫んで世の中が動いているわけではなく、民族と民族が互いに憎しみあって世の中が動いている。それが現実だ。

だから、武器弾薬が売れ、兵器が次々と開発され、民族憎悪の中でそれが消費されて超巨大ビジネスになる。インターネットが軍事研究から生まれたものであることはよく知られている。しかし、それだけではない。

GPSからレーダー制御から原子力から無人機まで、すべて軍事技術の転用で生まれているものである。

現代資本主義の要となっている金融取引のトレーディング・システムですらも、ロケット工学という軍事に関わっていた技術者がトレーディングに応用させたものだった。デリバティブさえも、軍事技術の応用だったということだ。

憎悪は殺人兵器の開発を向上させるが、その副産物として現代文明は発達しているということでもある。

「憎しみは何も生み出さない」という言葉があるが、とんでもない誤解だ。

憎悪が戦争を生み出し、戦争が孔子やクラウゼビッツのような実践理論や、ハイテク文明を生み出した。それらがさらにビジネス戦略や、インターネットの各種サービスを生み出し、私たちの生活を豊かにしている。

信じられないかもしれないが、私たちは憎悪が生み出した果実を楽しんでいるのだ。

今も、世界中のありとあらゆるところで、民族が民族を憎み、国家が国家と対立している。血みどろで、残虐で、救いのない殺し合いが渦巻いている。

しかし、その人間の根本にある憎悪が、逆に人間の文明を向上させているとは、奇妙な世の中ではないか。私たちは、相手を憎めば憎むほど、文明が発達していくという皮肉な世界に生きている。(written by 鈴木傾城)

人間の根本にある憎悪が、逆に人間の文明を向上させているとは、奇妙な世の中ではないか。私たちは、相手を憎めば憎むほど、文明が発達していくという皮肉な世界に生きている。

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