小さな子供にとって「親」が唯一絶対の存在だ。ある時期まで親は「神」であると言っても過言ではない。親がいなければ子供は生きていけない。
そのため、両親が間違った教育や愛情や環境で子供に接し続けた場合、子供はその親から大きな精神的ダメージを受け続け、そのダメージを大人になっても引きずることになる。
たとえば、親が子供に「お前は何をやっても駄目だな」とか「お前はクラスの中で、兄弟の中で、一番駄目な子だ」と他人と比較して子供に「駄目だ」と言い続ける親は決して珍しくない。そういった言葉を子供は真に受けて育つとどうなるのか。
「自分は何をやっても駄目だ」という暗示が強烈にかかる。大人になるとそれが自分の思考の中に組み込まれて外れなくなる。そして、本当に駄目になっていくのだ。
肉体や心に障害があるわけでもなく、知能もそれなりに備わっているにも関わらず、自己評価がかなり低い女性を時々アンダーグラウンドで見かける。
話をよく聞くと、その女性よりも、むしろ親に問題があったのではないかと思わせるケースは多い。いったん、子供の頃に間違った暗示を親から受けると、それが子供の一生を貫く暗示となっていくのだ。
「暗示をかけられる」というのは、本人が気付いていない分だけ危険だ。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。
親が子供にかけた呪文(Spell)
頭が良くて、器用で、才能があるのに、本人の自信だけが欠落している人を見かけたことがないだろうか。
そうした傾向がある人は、すべてがそうだというわけではないが、子供の頃に「お前は駄目な子だ」という暗示をかけられて、それが大人になってもずっと続いている可能性がある。
本人はそれが自分の「性格」だと思っている。そのため、自分の心理を分析したり過去を振り返ることはない。
しかし、熟練した心理学者やセラピストがそうなった原因を客観的に調べていくと、幼少期の本人でさえも忘れていた記憶に辿り着く。その記憶が棘のように突き刺さっており、それが心を縛りつけていたということが分かってくる。
暗示は「言葉」で行われる。だから、本人の心を縛りつけているのも「言葉」である。「お前は駄目な子だ」という言葉が、深く強烈な暗示となって本人の心に突き刺さったまま離れない。
英語の世界では”Spell on you(スペル・オン・ユー)”という言い回しがある。直訳すると「言葉をあなたに置く」となるのだが、意味するところは「お前に呪文をかける」というものだ。
この呪文(Spell)は「恋の呪文」みたいな他愛のない意味でも使われる。”I Put A Spell On You”という古い歌では「お前に恋の呪文をかける」という意味で使われている。
しかし、この他愛のないものとは別に、悪意ある呪文(Spell)もある。「お前は駄目な子だ」というのは、まさに親が子供にかけた悪意ある呪文なのである。
子供の頃に受けた心理的ダメージは、大人になれば消えて然るべきなのだが、あまりにも大きなダメージはそのまま取り込まれて性格になってしまう。「親」という唯一絶対の存在が「お前は駄目だ」というのだから、子供は無防備にそれを受け入れて「自分は駄目なのだ」と信じる。
それは「本当にそうなのか」と分析されることもない。ただ、そのまま素直に信じてしまう。そして、大人になって本人は「なぜ、自分はこんなに自信がないのか?」と苦しむようになっていく。
「人間関係がうまくいくのはおかしい」と考える
本当は「駄目」どころか、非常に多彩な才能と魅力を持っているのに、自分だけが肯定的な評価ができない人がいる。他人が賞賛しても、それを「いや、本当は駄目なのです」と自分から否定する。
あまりに褒められると、逆に不安になって成功をぶち壊してしまったりすることもあるので、それは謙遜ではないというのが分かる。成功を自ら壊す。そして、「やはり駄目だったではないか」と納得するのだ。
そして、それが積み重なることによって「駄目な自分」が強化される。この「自分は何をやっても駄目だ」という心理は、子供の頃に「呪いの言葉」としてかけられたまま育つと、成功を自ら破壊する言動になっていく。
まさに悪意ある呪文(Spell)である。その呪文は、ありとあらゆる重要な場面に芽を出して、その人の人生を駄目にしてしまう。人間関係ですらも、無意識に破壊してしまわずにはいられない。
「自分は駄目な人間だから、人間関係がうまくいくのはおかしい」と考えるからだ。良好な人間関係が築けるようになると、逆に人間関係をわざと壊すような態度や言動をしてしまう。
意識してそれをやっているというよりも、無意識の間に相手を怒らせたり困らせたりしてしまう。それで、相手が我慢したら人間関係が壊れなかったと思って安堵するのだが、逆に壊れても安堵する。
なぜ人間関係が壊れても安堵するのかというと、「ほら、やはり駄目だったではないか」と納得するからだ。自分は何をやっても駄目だという証明ができて安堵するのである。
しかし、そうやって片っ端から人間関係を壊していくと、最後には何も残らない。そうなると、ますます「駄目な自分」という暗示が強化されて、より駄目になっていく。
頭が良くて、器用で、才能があるのに、あまりにも自己否定が強すぎてすべてをぶち壊す人というのは、そういった心理状態に無意識に陥っていると見ていい。
こうした性格の女性は、夜の世界にはたくさんいる。本人も気が付いていないのだが、暗示がかかったまま大人になっているのだ。美しく、頭の回転は良く、魅力もある。しかし、それを褒めると激しく否定し、会話のやりとりでも、わざと怒らせるようなことを言って相手を試す。
そんな女性がひとりふたりでなく大勢いる。本人が態度を改めない限り、人間関係は好転することはない。「呪い」が解けていない。
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「呪い」を解くにはどうすればいいのか
人は誰でも自分にかけられた「呪い」には気付かない。自分の感情がどこから生まれ、なぜそのように感じるようになったのか、自分の心理を冷静かつ客観的に分析できる人はほとんどいない。
他人を分析できても、自分はあまりにも近すぎて分析できないのである。
だから、「自分は何をやっても駄目だ」という呪いを子供の頃にかけられて自己否定が強くなってしまった人は、独力でそれに気付くことはないし、薄々と気付いたとしても今さら性格を変えることはできない。
「何をやっても駄目だ」というのを成就させるのが人生になっているので、やがて自分の持っている長所や利点ですらも掻き消そうとすることもある。
アルコール依存になったり、ドラッグ依存になったり、他人に嫌悪されるようなタトゥーを入れたり、リストカットしたりして自傷することもある。過食や拒食に入ることもある。そうやって「駄目な自分」をとことん成就させていく。
本当は駄目ではないのに、親にかけられた「呪い」を自分で実現しようとするのである。これは紛れもなく自滅志向であり、自己破壊である。子供の頃に親から得た呪いというのは、それほどまで強いものがある。
この「呪い」を解くにはどうすればいいのか。
唯一の解決方法は「呪い」の言葉の自覚だ。もし、自分の中に「成功をぶち壊す」ような衝動や心理があるのなら、それはどこから生まれて来たのか自問自答する必要がある。そして、どの「呪いの言葉」が自分に大きな暗示をかけているのかを探る必要がある。
自分に「呪い」をかけている言葉の正体が分かれば、後はその言葉を丁寧に、客観的に否定していく。それは客観性がない言葉であることを知ると、「親が間違っていた」と考えることもできるようになる。
呪いの言葉を意識し、それを否定することで、長らく自分を苦しめていた「呪い」は解ける。しかし、そこまで至る人はいるのだろうか。恐らく、自分の過去を潜り込んで行ける人はほとんどいない。そのため、子供の頃にかけられた間違った暗示は、ずっとその人の人生を支配する可能性が高い。(written by 鈴木傾城)
自分に「呪い」をかけている言葉の正体が分かれば、後はその言葉を丁寧に、客観的に否定していく。それは客観性がない言葉であることを知ると、「親が間違っていた」と考えることもできるようになる。
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頭が良くて器用で才能があるのに、成功を自らぶち壊そうとする人を見かけたことがないだろうか。そうした傾向がある人は、子供の頃に「呪いの言葉」をかけられてそれに縛られている可能性がある。誰がそれをかけたのか、どの言葉が呪いなのか、自覚できる人は少ない。https://t.co/5xexnDTTvC
— 鈴木傾城 (@keiseisuzuki) 2019年2月24日
know yourself 自分自身を知れ、ですね。
灯台下暗し、とも言いましょうか。
自分自身は完璧じゃない。ならば親も完璧じゃないのでは?と、疑う。なんて事はないのでしょう。
なんせ神ですから。
皆が自分自身を消しているおかげで世の中はうまく廻っているのだから、
まぁよろしいかと思います。
皆が好き勝手をしないように義務ですから、と、洗脳、暗示をかけないと、
国家が維持できませんからね。
しかし、この行為はなんのために必要なのか?と、疑うって事は覚えておいたほうがいいと思います。
江戸時代に書かれた武士道を語る「葉隠」は鍋島藩の山本常朝によって語られたものです。
「武士道と言うは死ぬ事と見つけたり」の文言は有名ですが、それだけでなく友人との付き合い方や育児まで触れています。
「武士の子供を育てるにあたって、臆病に育ててはならぬ」と言う意味の言葉があって、「お化けが出るぞ」とか「そんな事をすると鬼が出てくるぞ」等現代で言えば「おまわりさんに言いつける。」等と子供を脅かすたぐいの言葉を言ってはならないと書かれています(あまりに昔読んだ本なのでそういう意味だったという事です)。
江戸時代中期の武士でさえ、上記の言葉で子供を洗脳すると臆病になると言っている訳です。
しかし親は選べませんから不幸にしてマイナスの暗示をかけられても、親を乗り越えるのが親孝行と自己暗示をかければいいのです。
フロイトやユングの等の精神領域の本を色々読みましたが、人間の潜在能力は大変なもので自己暗示をかけると大抵の事はやれるものですからお試しあれ。